tera-sanのブログ

人に伝わりにくい多発性硬化症患者の想いや苦労

自分は4歳の時に急性熱性皮膚粘膜リンパ腺症候群(川崎病)になりました。この病気が多発性硬化症のトリガーとなったのではないかと言われています。医師からはあとは本人の生命力と言われたそうです。その後、中学生の時に全身脱力で入院しましたが原因不明のままで回復しました。
20代後半で左半身の麻痺と視野欠損で入退院を繰り返し。多発性硬化症の診断を受け現在に至ります。

再び母親の買い物の運転手兼荷物持ち

自分の息子が、母親が作るかぶら寿司を毎年美味しいと言って食べているらしく、今年も作らないといけないと言い出し、再び母親を連れて買い物へ。一回りしてレジまで行っては買い忘れたと売り場へ戻るということを何度も繰り返し、やっと買い物が終わりました。歩行リハビリよりも疲れました(笑)毎年イルミネーションを見せに連れて行っているのですが今年は入院等があって連れていっていなかったので、買い物の帰りに市内のイルミネーションを見に行ってきました。それなりに綺麗でした。母親は死ぬ前にどうしても「なばなの里イルミネーション」に行きたいと言っていました。いつか行こうねと言いながら実家に送ってきました。